対立の結末

昔のこと、堺のある商人にまつわる話である。その商人は船で全国から商品を買い付けており、そのための自前の船を持っていた。

船に乗る人間の主な部分は、その役割によって二種に大別することができる。すなわち、船の動力周りを取り仕切る連中と、積み荷と運行を取り仕切る連中である。たいていの船では、彼らはほぼ同数であり、また、困ったことに対立することが多いのであった。主な部分とわざわざ書いたのは、これらに属さない人間も少数いるということであり、船頭や食事周りのものたちがそれにあたる。

商人の船はあまり大きいとは言えない船ではあったが、船の大きさとは無関係に、ご多分に漏れず、上記のような対立構造が存在しているのであった。当然、勢力は互角。何を決定するにしても対立する二大勢力であったが、船頭が掌握する数人の事務派勢力の存在によって、意思決定は多数決の名のもとに船頭の意思を色濃く反映する形でなされていたのである。

ある時、その船の常の船頭が病気になってしまった。船頭なしでは立ち行かないので、商人は臨時の船頭を雇うことになった。商人には甥の一人に、別のところで船に乗っているものがいた。彼は船頭ではなかったが経験は十分に積んでいる船乗りだったし、臨時の船頭で経験を積むのも良いだろうということで、お声がかかった。それとは別に、病気の船頭は、彼の友人で、ついこの間引退したばかりの経験豊かな船頭を、商人に推挙したのである。商人は、これまでよくやってきてくれた船頭が紹介した船頭と、自分の甥のどちらも十分に役目をこなすと考えたが、安心のため、二人ともに船頭として乗ってもらうことにしたのである。

経験豊かな船頭の名は天野という男であった。商人の甥は保科といった。はじめ、船の運航は特に問題もなく、荷の買い付けも滞りなく行われたのであった。問題が起こったのは帰路においてであった。新しい船頭の二人の手前、それまで鳴りをひそめていた二大勢力の対立が表面化したのである。これまでだと船頭の事務派によって、収集していたところが、今回はそうはいかなかった。事務派を天野と保科が二分してしまい、それぞれ別の勢力に加勢したのである。動力周りの連中に与したのは天野であった。積み荷と運行の連中に与したのは保科であった。これにより、天野派と保科派に分かれて完全に対等な勢力が対立するという構造ができあがり、しばらく何の意思決定を行うことができず、帰るに帰れない状況がつづいた。皆が困り始めたときに、その状況を打破したのは、天野であった。天野はこれまでの経験を活かして、半ば強引に全権を握るような形で帰航における意思決定を行ったのであった。こうして、とりあえずは仕事を終えたのであった。

帰港したは良いが、おさまらないのは保科派のものたちであった。天野派の連中が中心となって運航したということが許せなかった。また、この前例をもとに、今後もそのような事が行われるかもしれないという危惧を抱いた。そして、彼らは、もうこの船で働くことはできないという結論に達したのである。だが、このまま黙っているほど穏やかなものたちでもなく、嫌がらせをして去ることにした。保科派のものたちは、荷の積み卸しを行うことに関しての玄人である。当時の船は木製であったため、ある程度の大きさであったが、強引に岸に引き上げ、さらに山にまで運び上げてしまった。

世の中、いろいろと難しいものだ。