イデアと世界と四次元

まぁ、なんだ、ふにゃ次元でもいいんだが、話がそれにそれて、最終的には笑い話にしかならなくなってしまうので、ここは自粛して…。

イデア」とか書いたらはてなが勝手にキーワードとして認識して、識者の書いた説明にとべるようになっていることを期待しよう。私に聞かれても困る。さて、どうやらこの世界はイデアの模倣であるらしい。責任はとらない。私が言ったんじゃないし、ここではどうでもいい。そういう考えの存在を示すことだけが今ここで必要なことなのだ。この模倣というのは、劣化したコピーという意味でとらえて良いだろう。この世界はイデア劣化コピーであるのだ。

写真を撮ったとする。写真は二次元であり、とりあえずこの世界は三次元であるとすると、次元が一つ小さくなっている。写真はこの世界をある面で切り取ったものなのである。で、写真はこの世界の劣化コピーであると、言えなくも無いかも。このように、次元を減らすことによって劣化コピーが可能であるということにしておこう。

では、この世界が何かの劣化コピーだとして、その「何か」は、より次元の高いものであると考えることが可能である。例えば、この世界を三次元とすると、四次元(やそれより高次元)の世界とかがその「何か」であり「イデア」であるわけだ。イデアの住民からはこの世界を劣化世界として見ることが可能なのだろう。きっと。

見られているだけではつまらないので、見ることにしよう。この世界が三次元だとすると、じゃぁ、二次元だ。二次元の世界で神となるのだ。うひひ。

「君、不採用です。」