だまそうとしているのは分かっているのだよ、って本当ですか?

歩行者用信号機の横に、赤いバーが付いている場合がある。信号が赤になるとそのバーがすべて点灯し、時間とともに次第にバーが短くなっていて、すべてなくなると信号が青になる、というようになっている。見たことがない人は、どこかで見てきて下さいな。これ以上説明するのは面倒なので。というわけで、以後、赤いバーを見たことがあるものとして話を進める。

あの赤いバーは、いくつかのセルに分かれていて、先に消えるセルのほうがより大きなセルになっており、後に消えるせるはより小さなセルになっていることがわかるだろう。セルが1つ消えるのにかかる時間は一定であり、バーが満タンの状態の時にはより時間が早く進んでいるように、待っている人たちに錯覚させるような効果をねらっているものと思われる。待っている人にとっては、セルの大きさが違うのは一目瞭然であるため、明らかにだまそうとしているのが分かるわけだ。まぁ、しかし分かってはいても、何らかの心理的な効果はあるのだろう。

それでも、少しあからさますぎやしないだろうか。例えば、セルの大きさを一定にして、消える時間を変化させるようにすれば、同じような心理的効果が得られるとともに、歩行者にはよりわかりにくい。コストの問題でやらないのだろうか。

ついでに、本当に、バーが満タンのときに早く時間が経っているように感じさせた方が良いのだろうか。待っている人の気持ちは、「時間が早く進んでいるなぁ」、「なんか遅くなってきた」、「あとちょっとやからさっさと時間経てー」、「やっと青になったか」というように感じるわけだ。でも、逆でもなんとかなりそうな気がする。「遅いなあ、まだまだやなぁ」、「やっとこさ半分てとこか」、「お、なんか進むの速いで」、「なんか、最後はあっという間やったな」となったほうが、わたるときのストレスは少ないかもしれない。

ま、そんなこと言いつつ、実は「セルが1つ消えるのにかかる時間は一定」という仮定は大間違いで、時間対面積は常に一定だったりしたらなかなかおもしろい世界だと思うんだがなぁ。