他者(067)

自分以外がすべて偽物であるというのはわりと自然に起こる発想である。手塚治虫の比較的初期の作品にもそういう視点の物語があったと思うし、マトリックスもそういう発想が根本にあると考えられる。

このように、自分が認識している世界をすべて疑い、疑っている存在である自分というものだけが確実なものである、と考えたのがデカルトである。ちなみに、これが「我思う故に我在り」である。「我思故我在」であり、「コギト・エルゴ・スム」である。らしい。どうでもいい。

デカルトデカルト座標という、いわゆる原点からの直行直線による座標系を発明した人でもある。本当かどうかは知らないが、寝ているときに天井にとまっているハエを見て、その位置を特定するにはどうすればよいかということを考えたらしい。ハエの座標が求まれば、あとは弾道計算をして、ハエを撃ち落とすだけである。コンピュータの実用化はこうして始まったのである。ハエ取り紙が有ったら危なかったところだ。

さてさて、今日の日記はあなた方オートマタにはいかがだっただろうか。

あ、いや、私という、いちオートマタの今日の日記はいかがだっただろうか。