0.6+0.6=1.2
山に登れば昼の時間が長くなる。きっと、富士山が霊山であり神とされるのは、太陽をいっぱい浴びているからに違いない。
逆もまたしかり。
カチンとくる
必要以上に冷たくされた上に殴られたりすると、カチンとくるわけである。まず、急にやってはいけない。少しずつおだやかに冷たくしなくてはいけない。少しずつおだやかに冷たくすることによって、限界点よりもさらに冷たくしてもしばらくはカチンとこない状態が続く。冷たくすると同時にしょっぱくしておくと、より冷たい状況にも耐えられるようになる。十分に注意深くすることによっておそらく摂氏-40度ぐらいまでは耐えられるのではないだろうか。
そうなれば、カツンと衝撃を与えると、一気にカチンとくるのだ。
神との遭遇
東京駅から電車に乗った時、神らしき人と隣り合わせた。
科学が目指すところは、神が作った「世界の法則」を明らかにすることである。最もわかりやすいのが物理における実験だろう。例えば、落下の速度の法則を導くためには、様々なものを様々な条件で落下させてみて計測を行い、その結果から最もらしい法則を類推するのである。先人が導いた法則が必ずしも正しいというわけではなく、常にそれまでの法則よりもより最もらしい法則を導くことにより科学は発達してきたと言える。我々は科学という名の下で、神が作った「世界の法則」により近いものを見つけ出し続けながらも、決して「世界の法則」の真の姿を見ることができずにいるのである。
私が隣り合わせた神は、一心不乱に小さなノートに数字を書き続けているのであった。そのノートは5mmの間隔の縦横の線により方眼にマス作られているものであった。マスは横に12個ほど、縦にはおそらく20個ほどあった。まず、新しいページの最初の行に一番左から6つ丸を書き込む。次に、その丸を書いた列の下に次々と数字を書き込んでいくのである。最初は1に近い数から始まり、だんだん増やしながら30程度までの数字を書き込んでいく。丸が書き込まれている列は6列であり、一行には最大6つの数字が書き込まれるのだが、書き込まれないマスもある。40ぐらいまでの数字を書き込み終わると、次の新しいページでまた同様のことを行う。神はそういう作業を延々と繰り返していた。
私は、なんとかこの数字の規則性を見いだそうと、ちらちらと盗み見ていたのだが、全くわからない。電車は進む。神は一心不乱にノートに数字を書き続ける。私は考える。しばらく考えた後、最終的に私は結論にたどり着いたのである。あぁ、この人は神だと。一介の人間ごときが神の紡ぎ出す所行に法則を見いだすことなど不可能であると。そして、その、一見さえないおっさん風に見える人を畏敬の念を込めてしばらく眺めていたのであった。
神がノートの後ろに折りたたんで持っていた紙を広げ、見始めた。なにやら、1から40ぐらいの数字の一覧の横に正の字が書かれているようであった。神は時々その紙を見ながら、ノートに数字を書く作業を続けるのであった。ふと、ある文字が目に入り、私は本当に全てを理解した。なるほど、この神は「Loto6」の神であったのだ。
規制社会
世界のすべては公権力の規制の下に入るべきである。あらゆる自由はこれを認めない。世の聖職はすべてがんじがらめの規則に縛られているではないか。世界を聖人であふれさせるためにも、あらゆる自由を認めてはいけない。なーにが自由だ。くそ食らえ。
起きて半畳寝て一畳
動き回って一里四方。
テンプレート(結末)
【A大 学生】
基本的に嫌われる。
【B大 学生】
誰にも理解できない。
【C大 学生】
一部の人から疎まれるが、本人は図太いので気にしない。
【D大 学生】
毒にも薬にもならない。